仕事ゴコロ・女ゴコロ
4月

ひとつに絞らない。ずっと色々なことをしていく

フリーアナウンサー

河西 美紀(かさい みき)さん

エフエム群馬のアナウンサーを経て、2003年より東京を拠点にフリーアナウンサーとして活動。ラジオパーソナリティー、司会、ナレーター、アナウンス・朗読指導などで活躍。08年より、エフエム世田谷にて情報番組のパーソナリティを務める。東京都生まれ。
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

ニュースや情報を“声”で届けるアナウンサーの仕事を続けて18年。華やかな舞台の裏にある苦労、手に入れた夢の仕事を手放す悔しさ…。身ひとつで“言葉で伝えること”を武器に多彩にキャリアを重ねてきた、フリーアナウンサーの仕事哲学に迫る。

2018_04kasai_1.jpg

毎週金曜午前中のラジオ生放送を軸にスケジューリング

 フリーアナウンサーとして、ラジオ番組のパーソナリティをはじめ、セミナー司会、ナレーションなど、言葉を声にして伝える仕事をしています。近頃は"話し方"を教える機会も増え、大学や企業で行う話し方講座からご自宅でのプライベートレッスンまでを行っています。

 曜日や時間に関係なく仕事は入ってきますが、毎週金曜日の朝8時から、『エフエム世田谷』で3時間の生放送を担当しているので、これを軸にスケジューリングをしています。ラジオの日は朝4時起きで6時過ぎには局入り。前日の木曜夜だけはお酒も控えめです(笑)。

 司会の仕事は土日や夜が多く、仕事場所も全国津々浦々。わずか数日の間に、東京、八戸(青森)、東京、西宮(兵庫)、千葉、名古屋と大移動をする時もあります。喉はもちろん、体が資本の仕事です。

群馬の地で憧れのアナウンサーに!

 私にとってアナウンサーは中学時代から恋い焦がれた夢の職業でした。しかし、その門戸は狭く就職活動では本当に苦労しました。東京出身ですが都道府県にかかわらずどこへでも入社試験を受けに行き、就職したのが群馬県前橋市にあるエフエムラジオ局でした。

 40人弱の小さな放送局だったので、入社して間もなく担当番組を持つことができ、現場で仕事を覚えていきました。アナウンサーといっても、番組で話すだけではなく取材も、原稿書きも、曲選びも、秒単位で時間を測るタイムキーパーもこなします。扱うジャンルも幅広く、真面目なニュースも読めば街角のリポートもする。イベント司会の仕事などにもよく出かけていました。とても忙しかったですが、なんといっても憧れの仕事に就けた喜びと若さに満ち溢れていたので、毎日全力で駆け抜けていました。

入社4年余りで退社・・・必要だったリセット

 充実したアナウンサー生活を送っていたのですが、26歳の頃、自分でも思いがけない展開でラジオ局を辞めることになってしまいました。入社3年目くらいから、仕事の頑張りが空回りしているような、自分に自信をもてなくなるような出来事が重なり、精神的にまいってしまったのです。本番になればいつも通りにしゃべることはできるのですが、舞台裏ではオンエア直前まで気持ちがふさぎ込んでいたこともありました。

 そんな時、とあるリスナーさんからいただいた「いつも河西さんの番組を楽しみにしています」というお便りを見て、ありがたく思う一方で「この仕事が大好きで楽しくて始めたはずなのに今の自分は心から楽しめていない・・・」という自分の本心に気付いてしまったのです。

 「一度リセットして元気になろう」。そう決心するやいなや、次の仕事も決めず、フリーになる準備もせずに局を退社。あれほど憧れ続け、苦労して手にしたアナウンサーという仕事でしたが、当時はそれ以外の選択ができないほど追いつめられていたのだと思います。

違う畑で過ごした2年間がくれたもの

 東京の実家に戻り、色々な会社へ履歴書を送ったりオーディションに出かけたり、仕事探しの日々が始まりました。でも、気持ちが落ちていますし自分に自信がないので、表情も暗い・・・。当然、採用されません。「生放送は半年以上のブランクがあくと感覚が鈍る」という言葉を耳にしながらも、何もできないまま9カ月が過ぎていきました。

 アナウンサーとしての再出発の道を見出せぬ中、友人に勧められ派遣会社で働くことにした時には、「とうとう違う畑にきてしまった。夢を追いかける時代は終わりで、私はこれからこうやって生きていくんだ」と感じたことを覚えています。ところが、結果的にはこの会社で過ごした2年間が私に元気と自信をもたらしてくれたのです。

 私がフリーアナウンサーとしてやっていきたい気持ちがあることを知っていた会社は、時折入る司会などの仕事との両立を応援してくれました。そして、ここで出会った仲間との出会いが、人間関係にも自信を失っていた私に自信を取り戻してくれました。またこの時期にかねてから付き合っていた人と結婚。多くの人に支えられたおかげで、ふさぎ込んでいた自分から脱することができたのです。

33歳。待望のラジオ復帰!

 突破口は意外なところからやってきました。局を辞めた直後に送っていた履歴書を見た方が「野球が好きだと書いてあったけれど、プロ野球の速報ナレーションができる人を探していて・・・」と1年以上経ってから連絡をくれたのです。

 この仕事がきっかけになりアナウンサーの仕事が徐々に増えていき、ついに33歳の時にラジオへ復帰することができました。久しぶりのラジオ局、ランスルー(リハーサル)、そして生放送! あの時の緊張した気持ちと喜びは一生忘れません。私にとってラジオはアナウンサーという仕事に憧れたきっかけでもあり、キャリアの原点。本当に嬉しかったです。

 どんな仕事でも独立すると、最初の仕事が軌道にのるまでは長かったり辛かったりするものなのかもしれません。でも、ひとつ実績ができれば次へとつながっていきます。そして自分から種をまいておくと思わぬところで芽吹くことがあります。すぐにつながらなくても、いつかどこかでつながることを信じてまず種をまいてみることが大事なのだと、今振り返って改めて思います。

言葉には心が乗る。これが何よりも大切です

 フリーになり14年、ラジオに復帰して約10年。今はとてもいいバランスで仕事ができています。フリーランスになりたての頃は「自分のやりたいことは何だろう」と模索して苦しんだ時期もありましたが、「やりたくないことをやらなければいいんじゃない?」という先輩の言葉に心が軽くなり、自分らしく仕事を続けてこられたと思います。

 「電波に乗ってこそアナウンサーの仕事」と言う人もいますが、私は司会の仕事も大好きです。40代を迎え周囲にはテーマを絞り専門性を高めていく人も少なくありません。ひとつのことを突き詰めることは素晴らしいことだと思います。でも、私はひとつに絞ろうとは思いません。"ずっといろんなことをしていたいアナウンサー"なのです。

 何よりも大切にしているのは"言葉には心が乗る"ということ。言葉は誰が読んでも同じではありません。硬いニュースでも軟らかい話題でも、自分のフィルターを通し、心を乗せて、自分の言葉で伝えていきたい。このこだわりを忘れずに、これからもアナウンサーとして仕事を続けていきたいと思っています。

挨拶やプレゼンで役立つ"話し方のコツ"

 最後にひとつ、すぐに実践できる"話し方のコツ"を皆さんにご紹介したいと思います。滑舌の良し悪しや声の大小ではなく"口のかたち"を意識して話してみてください。自分で思っている以上に口は開いていないもので、そもそも口が開いていないということは音の出口が小さいということ。"口を縦に開けるようなイメージ"で話すのがコツです。自然と口が大きく開き、言葉が伝わりやすくなります。会議やプレゼンの時はもちろん、春は出会いの多い季節ですから初対面の挨拶の時などにも意識してみてください。

取材後記

職業がら滑舌やイントネーションには常に気をつけているという河西さん。「夫から『寝言まで滑舌がいい』と言われた時にはさすがにびっくり」と笑います。酔っ払っていてもハキハキ話せるのだとか。河西さんの今後のご予定を伺うと、「約10年前に友人と始めた『トークコンサート』というライブイベントを復活させたいです」とのこと。表現する場所を自分たちで創り出し、新しい試みにも挑戦する。そんな姿に刺激を受けた取材でした。

河西さんの幅広い活動を見渡せるホームページはこちら。「司会のコツ」には気配りのポイントなども紹介されていて参考になります。 http://kasaimiki.com