仕事ゴコロ・女ゴコロ
7月

自分の経験が誰かの役に立つなら、失敗もあり

野村証券 武蔵小杉支店長

平野 和枝(ひらの かずえ)さん

1998年、熊本支社に入社。2008年リーダー職、12年課長職を経て、17年より武蔵小杉支店長。一児の母、熊本県生まれ。
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少額投資非課税制度(NISA)や個人型確定拠出年金(iDeCo)などが登場し、個人にもより身近になった証券業界で圧倒的なシェアを誇る野村ホールディングス。その中核会社、野村証券の数少ない女性支店長のひとりである平野さんは、40代で初めて夫や子どもがいる地元熊本を離れ神奈川へ単身赴任中。キャリアを支えるのは仕事への誇りと家族の応援!

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40代で初めての一人暮らし

 熊本の野村証券でお客様の資産運用のご提案に携わり続けて約20年。昨年春に、武蔵小杉支店(川崎市)の支店長として赴任しました。生まれも育ちも熊本で、地元以外の町で暮らすのは人生初。40代を迎えて初めて経験する一人暮らしでしたが、新しい生活にも慣れてきました。

 支店長になるのも初めてでした。野村証券は現場主義で各支店にさまざまな判断が委ねられています。全国156支店(6月末時点)でそれぞれの支店長のやり方があります。私も会社からひとつの支店を預かる責任ある立場。自ら考え、判断し、実行して結果を出すことはもちろん、後進の教育など組織に必要なあらゆることに気を配り、支店のメンバーたちとともに街の皆さんに貢献したいと、日々取り組んでいます。

 今回の異動は想定外で、まさか子どもや夫、両親と離れて単身赴任する日が来るとは思ってもいませんでした。キャリアアップは思いもかけないところでしばしば起きるものです。応えられるか応えられないかはその時の状況次第ですが、家族の後押しがあり支店長という職を「やってみよう」と引き受けることができました。暮らしは大きく変わりましたが、おかげでたくさんの気づきを得ています。

入社4年目で結婚。先輩社員の激励を受け、育児休暇後に復職

 私が社会に出た頃は就職氷河期でした。学生時代はアルバイトすらしたことがなく、入社式の日、父が上司に「世間知らずなので、すぐに切ってもらって構いません」と言った台詞が忘れられません。幸い、父の心配は杞憂に終わり勤続21年目を迎えています。

 入社4年目で結婚しましたが仕事は続けました。当時は結婚を機に仕事を辞める人もいれば辞めない人もいるという、女性の働き方が変わり始めた端境期でした。もともとそれほどキャリア志向ではなかったのですが、出産を経て復帰していた先輩社員から「一緒に働こう」と激励を受けたこともあり、28歳で出産後、2年間の育児休暇を取り復帰しました。ここから私のキャリアは始まったと思っています。

部下を成長させる立場なのに、自分が成長していない・・・・・・

 ちょうどその頃に会社の人事ルールが変わり、一般職から総合職になったことが大きな変化でした。キャリアアップを初めて意識し、勉強を始めました。徐々に業務範囲が広がり、それにひとつずつ取り組むことで自信もついていきました。やがて仕事に手ごたえを感じるようになってきた頃、リーマンショックが起こりました。厳しい時期でした。それでも「悪い時ほどお客様に尽くそう」と走りながら考え、働き続けました。

 そうして30代半ばを迎えて課長職に就いたのですが、体力的にも時間的にも期待に応えられなくなり行き詰まりました。育てるべき部下もいる、期待してくださるお客様もいる、皆を鼓舞しなければいけないけれど私も辛くて泣きたい時はある。部下を育てる立場にありながら、自分が成長せず停滞していることへのもどかしさが募りました。帰宅時間がどんどん遅くなり、ついには体調を崩してしまいました。

 「自分には荷が重い」と退職を念頭に置いて上司に相談したのが37歳の頃でした。するとその上司から「部下に、仕事がキツいから辞めますって言える?」と問われたのです。「将来がある後輩たちのためにもそれは言えない」。もう少し頑張ってみようと踏みとどまりました。

次の誰かの選択肢になるように動く

 そうして辞めずに続けたことで見えてきたことがありました。「人に任せる」ことを始めたら、マネジメントという仕事の本質がわかり始め、その醍醐味を感じられるようになりました。「押し付ける」のではなく「任せる」ことで発揮される個々の能力があることにも気づきました。プレッシャーでしかなかった責任ある立場を続けることが、自らの成長につながっていきました。

 また、たとえ自分が失敗したとしてもそれが誰かの役に立つならば、失敗もひとつのロールモデルだと思えるようになりました。自分の経験を生かしてくれる人がいることほど嬉しいことはありません。そう思うと「次の誰かの選択肢になるように動こう」と新しいことに挑戦できました。今回の単身赴任もしかりです。

「NO RAIN NO RAINBOW」という夫の言葉

 支店長というキャリアは、これまで支えてくれた上司、仲間、家族がもたらしてくれたものだと思っています。支店長の話をもらった時に「嬉しいけれど、さすがに受けられない。お断りしよう」と私の中ではすぐに結論が出ていました。それを上司に伝えると「家族には相談したのか?」と返されました。家族にたずねるまでもないと思っていたのですが、話してみたのです。

 すると、真っ先に応援してくれたのが高校生の娘でした。意外な反応に驚きました。我が家はまだ独り立ちしていない娘がいる上に私の両親とも同居していたため、夫の負担は間違いなく増します。それでも夫は「NO RAIN NO RAINBOW(雨なきところに虹はなし)だよ。トライしてみたら?」と言ってくれたのです。思いもよらない家族の後押しに涙がこぼれました。

 この一件を通じて、働く人の向こう側にそれを支える人がいることを意識するようになりました。一家の主婦でもある女性がキャリアを重ねていくには、家族の協力は欠かせません。ただ、我が家の選択が正解というわけではありません。仕事と家庭の両立にも多様性があります。各家庭の価値観を認め合いながら働き合うことが大切なのだと感じています。

形も職人技もないけれど、目の前の人生に寄り添う

 証券会社の仕事は決まった形もなければ職人技もなく、常に要求されることが変わっていきます。かつては企業の資本調達というニーズが主でしたが、今は個人の資産形成のサポートが求められています。また、地域による違いもあり、熊本で求められることと、武蔵小杉で求められることは違います。熊本では資産を次世代へ渡すためにどうしたらいいかというご相談が多いですが、この街では、資産を受け継ぐ側の若い世代からのご相談が多いです。

 時代や地域によって変動する要求に応えていくには、その土地でじかにお客様と接することが不可欠です。私は入社以来、お客様と直接、対話する仕事を続けてきました。お客様から仕事を教わったといっても過言ではありません。現場で約20年、できる限りのこと、お客様が期待されている以上のことを届けられるよう努めてきたという誇りが、今の私を支えていると思います。

 この仕事は人生に寄り添う仕事です。育児休暇中の専業主婦の経験も、子育てと仕事の両立も、親との同居も、単身赴任も、すべての経験が誰かの人生に寄り添うための糧になります。成功も失敗もフル活用して、証券業を通じて、誰かの将来に役立つ仕事を続けたいと思います。
 

取材後記

武蔵小杉は近年、タワーマンションの建設ラッシュが続く街。支店のお客様に若い世代が多いことも納得です。そんな街から1100km離れた熊本に、毎週末帰る平野さん。「週末に1週間分の娘のお弁当のおかずをつくり置きします。毎朝お弁当におかずを詰めるのは夫が担当。SNSで毎日のお弁当や娘の写真を送ってくれます」と写真を見せてくれました。「初めて家族と離れて暮らすことで、子どもの成長、親の老いなどを客観的に感じることができた」とも。思いがけない異動や組織の変化も、受け入れてみると想像を越える景色が待っているのかもしれません。

野村証券のホームページはこちら。 http://www.nomura.co.jp