仕事ゴコロ・女ゴコロ
6月

料理だけでなく、空間や暮らしぶりが仕事につながる

料理家

柚木さとみ(ゆぎさとみ)さん

カフェ勤務を経て、2002年からカフェプランナー、フードコーディネーターとして活動。大手料理教室の講師などを務めた後、12年にアトリエを構える。料理教室「さときっちん」主宰。『からだがよろこぶ!菌活レシピ』ほか著書・共著多数。東京都出身。
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新型コロナウイルス感染拡大による、外出自粛生活が続いた今春。日々の食事や住空間、ライフスタイルなど、暮らし方や働き方について考える機会にもなった。料理家の柚木さとみさんは雑誌やWEBサイトへのレシピ提案、ドラマの料理制作、調理器具の開発といった料理分野だけでなく、住まいや空間づくりでも注目を集める。料理家への道のり、幅広い活動の舞台裏を聞いた。

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木造平屋を自分たちでリノベーションしてアトリエに

 7年ほど前にアトリエを構え、毎月7〜8回、定員8人の料理教室を開催しています。デモンストレーションスタイルではなく、皆で実際に料理を作り、一緒にテーブルを囲み食事を楽しみます。この料理教室が私の活動のベースです。このほかに料理本や雑誌へのレシピ提供、企業とのレシピ開発などをしており、最近では金属メーカーと一緒に計量スプーンも開発しました。

 アトリエはセルフリノベーションした築60年以上の平屋の木造一軒家。床や壁、天井をすべて取り去り、自分で図面を引いて友人たちと一から作り上げました。当初から生徒さんを招いて共に料理し食べることを想定していたので、作業台の高さや広さ、調味料棚のレイアウト、収納スペース、空間としての心地よさなどにもこだわりました。アトリエを構えてからは、料理だけでなく、食を中心とした空間づくりや暮らしに関する仕事が増えました。

仕事に夢中だった20代

 食の世界に関わったのは大学時代のカフェでのアルバイトがきっかけです。私の実家は学習塾を開いており、両親も姉たちも皆、塾の先生や教員をしていました。当然私も教師の道に、と思われていましたが、カフェの仕事が楽しくて卒業後そのまま就職。接客の仕事がとくに好きでした。

 ほぼ年中無休の繁盛店。どうしたらお客様に心地よく過ごしていただけるか、スタッフが心地よく働けるかなどをいつも考えていました。バイト歴が長く、人手不足だったこともあり、入社4カ月後には店長を任されました。人材をどう確保し育てていくか、売り上げをどう立てるかなど店舗経営のあらゆることを現場で学びました。

 4店舗の店長を兼任し仕事中心の日々が続いた5年目。仕事にやりがいは感じていたものの、仕事中心になりすぎた生活に疑問を感じるようになりました。睡眠時間も少なく、食事もほぼ外食。当時はまったく自炊をしていませんでした。不規則な暮らしを一度リセットしようと、28歳のときに退社しました。

カフェプランナーとして店づくりにまい進

 その後は生活を見直し、友人の飲食店を手伝いながらカフェプランナーの資格を取得。ありがたいことに、知人の店の開店を任されたり、カフェのお客様から「お店を作りたいから力を貸してほしい」と声をかけていただいたりして、仕事が続きました。

 カフェプランナーの仕事は物件探しに始まり、家具や器、インテリアのセレクト、メニューの組み立てや試作、BGMの選曲など、やることがたくさんあります。オーナーさんの意向、街のニーズ、時代の流れをくみ上げながら、予算と折り合いをつけなければいけません。スタッフの確保と教育、キャッシュフロー(現金収支)の改善、利益計算なども重要で、あらゆる面で持続できる店づくりが求められます。オーナーさんの意向で、開店後にスタッフとして一定期間働くこともありました。

 その頃の暮らしぶりは、それまでとは一変。家で過ごす時間や料理の楽しさに目覚め、友人たちを招いて手料理をふるまう「宴」を頻繁に開き、食事を共にする豊かさを感じていました。また、料理のスキルを高めようとフードコーディネーターの資格を取得。料理の分野へと少しずつ仕事の幅を広げていきました。

料理を生業にするにも、仕事は様々と知る

 初めて料理が主の仕事をしたのは、フードコーディネーターのアシスタントとして参加したドラマの撮影でした。朝4時起きで出かけ、撮影スタジオに終日こもって撮影のための料理を作っては片付ける。帰宅は深夜2時過ぎ。わずかな仮眠を取り、また始発の電車に乗り込む。そんな生活が続きました。

 撮影現場で作る料理は食べることが第一の目的ではなく、映像としての映り込みなどが大切で、物語を彩る小道具という存在。画面からおいしさが伝わり、食への興味喚起につながることもありますが、そうでないこともあります。当時の私は料理の先に食べる人や時間が存在しないことに戸惑いを感じました。

 フードコーディネーターの仕事を通じて、撮影のための料理、パッケージやカタログのための料理など、料理の仕事にも様々あることを知ることができ、「おいしく食べてもらえる料理の仕事をしたい」という気持ちがはっきりしました。

料理を教えながら自らも学ぶ

 その後再びカフェの立ち上げに関わったり、大手料理教室の講師をしたりしました。講師の仕事はカフェや自宅ではあまり作らない和食の定番料理などを繰り返し作る機会にもなり、料理の基礎を幅広く学びながら働くことができました。人に教えるからにはその料理の成り立ちや背景にある食文化なども調べたくなるのが性分。料理に関する勉強は楽しかったです。

 はじめは生徒に教える一講師でしたが、ほどなく講師に教えるトレーナーを任されるようになりました。大学を卒業して食の世界へ飛び込んだものの、巡り巡って両親や姉たちと同じ教える仕事をしているのは、なんだか不思議でした。

 この頃から自宅で友人向けの教室を開いたり、ブログに自分のレシピをまとめたりしていました。ありがたいことに、ご縁があって2011年にはレシピ本を出版させていただきました。その翌年に住まいを兼ねたアトリエを構えることになります。

38歳で明確になった料理家としての道

 食に関わる様々な仕事をしてきましたが、レシピ本の出版とアトリエの完成によって、料理家として生きていく道筋が明確になりました。生活をリセットしようと退職した28歳から10年が過ぎていました。

そ れまでの経験がひとつの形になっていくように感じました。大好きな接客や教える楽しさは、教室で生徒さんたちを迎えることにつながり、カフェプランニングの経験やそれを通じて得た仲間の存在がすてきな空間づくりとなって実を結びました。アトリエを構えた翌年、料理をテーマにしたドラマに関わることができたのは、かつてのドラマの料理制作の経験があったからです。以前とは違う視点で関わることができ、有意義な時間を過ごすことができました。

環境が人を育てるからこそ、その逆もある

 あまり計画性をもって動くタイプではないので、ある意味、直感に頼ってここまできたともいえます。その分、予想しなかったことも多かったですが、その時々に与えられた条件のなかで、今自分は何を求められているのかを探りながら常に全力で進んできました。

 でも、探ることも前に進むことも難しいときがあります。「もうこれ以上は進めない」という本当に苦しい局面を迎えたときは撤退します。考えを尽くし、思いつくことをやり、それでも難しいならば、それ以上頑張って無理して進もうとするより、自分がその場を去り環境を変えるようにしています。環境が人を育てる、といいますが、その逆もあるからです。どうしてもすぐに環境を変えられないときには、短時間でも好きなことをする時間をつくり、自分が心地よくいられるひとときを楽しみに乗り切りました。

皆でおいしく楽しく食べるために

 アトリエを構え自分のペースで仕事をするようになってからは、自分の暮らしぶりと仕事が違和感なくつながっています。数年前にはアトリエから自転車で行き来できる所に住まいを移しました。築50年近い古い家をフルリノベーションし、夫、猫2匹と暮らしています。仕事が立て込むと連日試作や撮影などに追われますが、それでもかつての朝から晩まで仕事に追われていた日々からは想像もつかない時間が流れています。

 旬の食材を使い、皆で料理や会話を楽しみ、心地よい空間で一緒に過ごせることがうれしいです。これからも料理や空間、暮らしの提案をしていければいいなと思っています。料理教室は来てくれる生徒さんがいる限りずっと続けたいです。

取材後記

与えられた環境や条件のなかでやりくりするのが得意な柚木さん。それは仕事に限ったことではないそうで「お金がなかった時期、毎月1週間『1日100円で過ごすキャンペーン』を設け楽しみながら節約。キャンペーンは1年くらい続きましたね」と笑います。そんなユーモアあふれる柚木さんも、かつて頑張りすぎて撤退のタイミングを見失い、体重が40キロを切りそうなほど心身ともに参ってしまったことがあるといいます。頑張る人ほど撤退する力が必要なのかもしれません。何を優先し何を手放すかは自分次第。自分に合う新しい生活様式を見つけたいですね。

柚木さんのホームページはこちら https://yugisatomi.com